2017-09-22

なりたい自分になれたか


2017年は去年より映画を観ている気がします。
それが良いのか悪いのかは分かりませんが、
精神的に去年よりは余裕があるからかもしれません。

そして自分自身の感受性を磨くためにも、
映画や美術館などは、今後もこまめに足を運ぼうと思うのです。

そんな2017年を締め括るわけではないですが、
今年公開された中の2作品に、ずいぶん考えさせられました。

こういった作品は、のちのち自分の中で影響を形に変えてゆくのですが、
今、話したいことを綴ろうと思います。

 

奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせガール

 

タイトルも軽いので、当初は単に時間つぶしの娯楽映画として行きました。
そうしたら見事に良い意味で裏切られました。
たった残り十数分に。

そこでも私の過去をサラリと刀で撫で付けられたのですが、
やはり真打ちは原作本にありました。


内容はネタバレになるので割愛しますが、
一応、念のため、この先ご注意くださいね。

 


 

要はこういうことー

社会に出て、いろいろな人と関わることで、
面倒なことや、紛らわしいことから自分を守って生き抜くために、
準主役の女の子は、相手にとっての理想を嗅ぎ分け、
それを完璧に演じきることができる子なんです。
それによって男性たちは自分の理想が目の前にいるわけですから、
どんどん深みにハマっていくわけですね。

 

なので、「狂わせガール」なわけなんですが。

 

これって、結構やってる人多くないですか?

 

この「完璧に」はさておき、
相手にとって都合が良さそうな人を演じてあげることー
つまり、楽に人間関係を構築することで、物事を潤滑に働かせるために、
こちらの主張を理解してもらおうではなく、
相手が欲しい言葉、欲しい態度で接してあげることで、
相手は自分勝手なイメージで「理想」を作り上げる。

自分に嘘をついて無理して生きるためではなく、
相手の受ける印象を変えればいいだけー

 

まぁ、つまりは楽なんですよこれ。

 

特にコミュ障で苦しんだ賢い方には、
これは最善とまで思える策なのかもしれません。
実際、モテますし、これやれば。

 

でもね・・・
あまりに相手の反応ありきに動いてしまうので、
本当の自分がどこにあるのか、見失ってしまうんです。

作品でも印象的なセリフがありました。

 

「ぜんぶ私だよ。私は私だよ。」

 

確かにどんな「私」でも、ひとつの側面と言えばその通りだと思います。
なにも問題なく今後の人生を華やかにも生きられるかと思います。

 

でも・・・
それでいいんですかね?

 

社会で生き抜くための処世術を身につけ、
円滑に生きるのも、ひとつの人生と思います。

不器用でも人とぶつかり、悩んで苦しんで自分自身を磨いてゆく、
人間の器って、そうやって作り上げていくものなんじゃないのかなって、
この作品ですごく感じたのです。

 

主人公は、奥田民生に憧れ、
奥田民生のような生き方をしたいと、
夢溢れた青年でした。
このとき彼は35歳。

 

そこから様々な事件に巻き込まれ、
彼は自分自身を見失っていきます。

 

社会的に成功し、地位も名誉も得て、
すべてが順調に思えたとき、
彼は当時の自分と出会います。

 

自分がなりたかったものとは、
大きくかけ離れた自分がガラスに映ります。

 

憧れ、夢を見ていたあの頃の自分のほうが、
自分らしかったことに気がつきます。

 

誰のために生きているのか、
自分の人生は自分が主役ではなかったかー

脇役などいくらでも差し替えられるのにー
いったい何に怯えて生きてきたのかー

 

本当に改めて考えさせられた作品でした。

 

 

 

 

 

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です